中東で緊張が高まると、最初の兆しは必ずしも戦場に現れるわけではありません。むしろエネルギー市場に現れます。原油価格が動き始め、タンカーの保険料が上がり、政府のどこかでは静かに戦略備蓄の確認が始まります。実際の石油供給は前日と変わっていないかもしれません。それでも、不確実性だけで世界経済には波紋が広がっていきます。
このパターンは、重要な産油地域で緊張が高まるたびに繰り返されてきました。ホルムズ海峡周辺の不安定化、輸出国の政治危機、あるいは供給が途絶えるかもしれないという可能性だけでも、何千キロも離れた国々の経済に影響を及ぼします。日本は特にその影響を受けやすい国です。原油輸入の大半が中東を通っているからです。ヨーロッパも似たような脆弱性を抱えていますが、供給源はより多様です。資源の豊かなオーストラリアでさえ、精製燃料の多くを世界市場に依存しています。
これらの国を結びつけているのは地理というより、エネルギーシステムの構造です。石油やLNGといった燃料は、海を越えて絶えず移動し続けなければなりません。ホルムズ海峡、スエズ運河、マラッカ海峡のような狭い海上の要衝を、タンカーが毎日のように通過しています。こうした航路が安定している限り、この仕組みは驚くほど効率的に機能します。しかし一度不確実性が生まれると、実際の不足が起きる前から市場は反応し始めます。
原油価格の上昇は、輸送費や航空運賃、製造コスト、そして最終的には食品価格にも影響します。インフレの見通しが変わり、それに伴って金利の予想も動きます。場合によっては、住宅ローン金利さえ、遠く離れた地域の出来事に反応することがあります。
エネルギーショックは、燃料そのものよりも速く広がります。
もちろん各国もこうした脆弱性を理解しています。そのために存在するのが戦略石油備蓄です。日本は世界でも最大級の備蓄を持ち、数か月分の輸入をカバーできるとされています。EUでは加盟国に対し、約90日分の備蓄を維持することが義務付けられています。こうした備えは重要です。いざというときに時間を稼ぐことができるからです。
ただし、それでもシステムの構造そのものが変わるわけではありません。石油やLNGは毎日動き続けなければならず、タンカーは航海を続け、市場が価格を決め続けます。遠く離れた海上輸送ルートの安定が、そのまま国内経済の安定にも関わってくるのです。
この構造の脆さは、簡単な例でよく分かります。もしペルシャ湾でタンカーの動きが遅れれば、原油市場は数時間で反応します。供給が常に動き続けることを前提にしているため、価格はすぐに調整されます。しかし、その出来事が、すでに数か月前に燃料を装荷して運転している原子力発電所に影響を与えることはありません。原子炉は前日と同じように発電を続けます。
もちろん、原子力にもコストやリスク、政治的な課題があります。ただ、それらは遠くの海上輸送ルートの不安定さに即座に左右される種類のものではありません。原子力燃料は、まったく違うリズムで使われます。タンカーの運航スケジュールではなく、年単位のサイクルで動くエネルギーです。原子炉は1年から2年に一度程度の燃料交換で運転でき、燃料自体も非常に高いエネルギー密度を持っています。一度装荷されれば、日々のエネルギー市場の動きとはほとんど無関係に電力を生み続けます。
もちろん、どんなエネルギー源でも地政学的リスクを完全に消すことはできません。しかし、世界の出来事にどれだけ敏感に反応してしまうかは、エネルギーの種類によって大きく変わります。海を越えて絶えず運ばれなければならない燃料は、どうしてもその影響を受けやすくなります。一方、長い燃料サイクルで動くエネルギーは、そうした動きから少し距離を置くことができます。
輸入エネルギーへの依存度が高い国にとって、この違いは決して理論的な話ではありません。備蓄は時間を稼ぎ、供給源の多様化はリスクを分散します。しかし、それでも世界中を絶えず動き続ける輸送に依存する構造そのものは変わりません。
こうして世界のエネルギーを見ていくと、問題は一時的というより構造的なものに見えてきます。レジリエンスとは、単にどこかに燃料を貯蔵しておくことではありません。遠く離れた出来事によって、どれほど簡単にシステム全体が揺さぶられてしまうかという問題です。
絶えず動き続ける仕組みは非常に効率的ですが、その分だけ脆さも抱えています。より長いサイクルで動くエネルギーシステムは、より静かで、より安定していて、外部のショックにも揺れにくいものです。
地政学的な緊張が以前よりも頻繁に現れる世界では、効率だけでなく、そうした「揺れにくさ」こそが重要になってくるのかもしれません。