海峡がエネルギー政策になるとき

最近、行ったこともない場所のことをよく考えるようになった。ホルムズ海峡だ。

地図で見ると、見落としてしまいそうなほど細い水路で、イランとオマーンの間にある。けれどここ数週間、その地域の緊張が高まるにつれて、急に遠い場所ではなく感じられるようになった。政治そのものというよりも、そこを日々通っているものの存在が気になったからだ。日本の生活を支えている石油や液化天然ガスの多くが、この一本のルートを通っている。限られた海域をタンカーが行き来しながら、電気、交通、製造、そしてデータといった日常の基盤となるエネルギーを運んでいる。

少し立ち止まって考えさせられた。私たちは普段、エネルギーをこんなに物理的なものとして意識していない。ただそこにあるものとして、スイッチを入れ、スマートフォンを充電し、電車に乗る。ほとんどの場合システムは安定しているが、その安定は日本の外側にまで広がるサプライチェーンの上に成り立っている。ホルムズのようなルートに不安定さを感じ始めると、その距離は一気に縮まる。

日本は輸入エネルギーで動く経済を築いてきた。効率的で、長年の成長を支えてきた仕組みだ。ただ同時に、何千キロも離れた出来事が遠いままでいられなくなるという側面もある。影響は静かに現れる。コストの上昇や供給の引き締まり、そして見えにくい形での意思決定の変化として。

そうした懸念が再び意識され始めたのと同じ頃、柏崎刈羽原子力発電所の原子炉が商業運転に戻った。大きなニュースになったわけでも、劇的な瞬間があったわけでもない。ただ再稼働しただけだ。けれどホルムズのようなチョークポイントを前にすると、これは一つの具体的な意味を持ってくる。そこを通らなくても成立するエネルギーだということだ。

原子力発電所は、輸入燃料の流れとは仕組みが違う。燃料はすでに敷地内にあり、いったん動き出せば、日々の海上輸送に左右されることなく、数か月にわたって安定して電力を生み続ける。すべてを解決するわけではないが、根本的な部分を一つ変える。システムの一部が、狭い海峡をタンカーが通れるかどうかに依存しなくなる。たとえ一部でも、そこを通らなければならない量が減り、それとともにリスクも下がる。

この違いは、政策ではなく地理として考えたときに、よりはっきりしてくる。エネルギーの議論は、目標や技術、割合といった抽象的な話にとどまりがちだが、実際のシステムは物理的なものだ。ルートやインフラ、そして長距離にわたる資源の移動に支えられている。ホルムズ海峡は、そのすべてが集中する場所の一つであり、普段は背景に溶け込んでいる細い通路が、状況が変わると一気に存在感を持つ。

心に残ったのは、その地域の政治ではなかった。日本のエネルギー安全保障の一部が、実質的に遠く離れた一本の通路に委ねられているという事実だった。それを地図として捉えると、原子力が持つ意味を無視することが難しくなる。理論でもスローガンでもなく、具体的なものとして。日々の海上輸送に依存せず、遠くの紛争や狭い海路の影響を受けにくく、システムの外ではなく内側にあるエネルギーだ。

日本はこれからも複数のエネルギー源に頼り続ける。それは現実だ。ただ、この視点で見ると問いの形が少し変わる。単に供給を分散させることではなく、どこまでの部分を外部に委ねたままにするのかという問題になる。地図の上の一本の線が制約のように感じられたとき、その一部を自分たちの内側に取り戻すという考えは、選択肢というよりも必要なものに見えてくる。

Taiga Cogger

Got Nuclear
A Project of the Anthropocene Institute