停止後の現実(After the Shutdowns)

日本では、エネルギーの問題は冬になると現実味を帯びます。

夜遅くに聞こえる暖房の静かな音、日照時間が短くなるにつれて少し早く回るように感じる電力量計、そして「寒くなっても、当たり前のように暖かさは確保されるはずだ」という暗黙の前提。そうした場面で、人は思想や長期戦略を考えているわけではありません。気にしているのは、費用、安定性、そしてこの仕組みが本当に機能し続けるのかどうかです。

原子炉の停止後、日本は慎重さを選びました。福島の原子力事故を受け、その判断が理解できるものであったことは確かです。制度や監督への信頼が大きく揺らぎ、安全を最優先する姿勢は責任ある対応でした。ただし、その後に起きたことは、リスクが単純に減ったという話ではありません。リスクの所在が移動した、というのが実態です。今だからこそ、一定の距離をもって検証できる段階に来ています。

その影響は、一気に表れたわけではありません。
時間をかけて、積み重なっていきました。

失われた原子力発電分を補うため、日本は輸入化石燃料、とりわけLNG(液化天然ガス)への依存を急速に高めました。その結果、原子力停止後の数年間で、日本の化石燃料輸入額は年ベースで数兆円規模増加しました。量の増加だけでなく、国際価格変動への露出が高まったことも大きな要因です。2010年代半ばには、日本の発電量の約9割を化石燃料が占める状況となり、先進国の中でも際立って高い比率になりました。

電気料金もこの変化と並行して上昇しました。家庭用・産業用ともに、電力価格は二桁%の上昇を経験し、家計を圧迫すると同時に、産業競争力にも影響を与えました。また、二酸化炭素排出量も増加に転じ、以前は緩やかに減少していた排出トレンドが逆行する形となりました。気候目標そのものは変わっていなかったにもかかわらず、です。

それでも、この変化は劇的には感じられませんでした。
大規模停電が起きたわけでも、明確な「破綻の瞬間」があったわけでもありません。むしろ、少しずつ圧力が強まっていく感覚でした。電気代が上がり、燃料価格への感応度が高まり、冬の暖房費が年々重くなる。個別には受け入れられてしまうが、全体としては見えにくい変化です。

ここで重要になるのが、「トレードオフ」という視点です。

ある種類のリスクを下げても、リスクそのものが消えるわけではありません。
どこにリスクが存在するかが変わるだけです。この場合、原子力事故のような「頻度は低いが可視性の高いリスク」は抑えられましたが、その一方で、より継続的で見えにくいリスクが拡大しました。国際燃料市場の変動への依存、電力システム全体のコスト上昇、そして日常的に健康へ影響を及ぼす環境負荷です。

日本の立場を考えると、この点は特に重みを持ちます。国内エネルギー資源に乏しい島国である日本にとって、輸入燃料への依存は一時的な措置ではなく、構造的な条件です。国際市場が逼迫したり、地政学的緊張が高まったりすれば、その影響は直接、国内の電力価格やエネルギー安全保障に跳ね返ってきます。

福島は、この議論の中心であり続けます。ただし、それは「技術そのものの是非」を即断するための材料としてではありません。

福島で問題となったのは、物理法則ではありません。
ガバナンスの失敗です。リスクは認識されていましたが、行動に結びつきませんでした。警告は存在しましたが、意思決定に反映されませんでした。監督は決定的な介入を行えなかった。責任とインセンティブの仕組みが機能しなかった結果、事故に至ったのです。

しかし対応は、制度や監督体制を修復するよりも、主に「技術を取り除く」方向に向かいました。その結果、ある種類のリスクは低減された一方で、根本的なガバナンスの課題は大きくは変わらないまま残りました。

この点は重要です。ガバナンスの弱さは、原子力に固有の問題ではありません。監督が弱ければ、問題は別の場所で現れます。石炭火力でも、化学プラントでも、ガス設備でも、形を変えて表出します。

その間にも、原子炉停止の影響は日本のエネルギー構造を静かに形づくり続けました。輸入燃料への依存度が高まり、外部ショックへの脆弱性が増しました。排出量は、本来削減が急がれる局面で増加しました。エネルギーコストの予見性も低下し、家庭と産業の双方に影響を与えました。

これらは破滅的な結果ではありません。しかし、持続的な結果でした。そして、持続的な変化こそが、国の進路を長期的に左右します。

原子力には、確かに現実的な課題があります。廃棄物管理、長期的な責任、コスト管理、プロジェクト遂行。いずれも軽視できない論点です。しかし、これらは工学とガバナンスの問題であり、能力、透明性、制度改革によって対処可能な領域でもあります。比較そのものを避けても、課題は解消されません。むしろ、すでに使っている代替手段の問題を見えにくくするだけです。

この議論でしばしば欠けているのは、トレードオフを冷静に整理する視点です。
すべてのエネルギー選択が、安全性、価格、安定性、環境性能を同時に最大化できるわけではありません。本当に問うべきなのは、どのリスクを意識的に管理し、どのリスクを「慣れているから」という理由で黙認しているのかという点です。

停止後、日本はある種類のリスクを減らし、別の種類のリスクを引き受けました。その判断が誤りだったと言う必要はありません。ただし、全体像を直視しなければ、不完全なままです。

学びは、過去の判断を責めることからは生まれません。
結果を正直に見つめることから生まれます。福島のあと、誰が正しかったかを決めることがエネルギー政策の目的ではありません。これまで選んできた道が、今後求められる安全性、強靭性、負担可能性を本当に支えられるのかを問うことが重要です。

安全とは、まれな事故を防ぐことだけを意味しません。
健康、経済の安定、エネルギー安全保障、そして社会的信頼を、時間をかけて守ることも含まれます。

そのような広い意味での安全を実現するには、より広い対話が必要です。
停止後に「何を避けたか」だけでなく、「その結果、何が生まれたのか」まで含めて考える対話です。

Taiga Cogger

Got Nuclear
A Project of the Anthropocene Institute