中に入ってみると、10代の学生たちが「中性子経済」や「トリウム燃料サイクル」について真剣に議論していて、思わず足が止まりました。数ヶ月たった今でも、あの日の空気は鮮明に思い出せます。東京と大阪から集まった学生たちは、一般的な科学イベントとは違う集中力を持っていました。用意された答えを暗記するのではなく、核技術が急速に進化する世界の中で、日本がどこに立っているのかを本気で理解しようとしていたのです。その姿を見て、次の世代は核を怖がっているのではなく、むしろ自分たちがその責任を担っていこうとしているのだと感じました。
最初の講演者は、小さな装置を取り出しました。一見シンプルですが、実はとても印象的な「核融合デモ装置」です。2つのパーツが触れ合うと光り、振動し、“融合が起きる瞬間”を可視化してくれます。京都フュージョニアリングが広報活動で使っているもので、愛子さまが体験されたことでも話題になりました。学生たちが興味津々で覗き込む様子を見て、どれだけ高度な技術でも、触れられる形になると急に身近に感じられるのだと改めて気づきました。
そこから講演者は、京都フュージョニアリングという企業の世界へと案内してくれました。2019年設立の同社は、すでに約160名の規模に成長し、累計約210億円の資金調達を行い、企業価値はおよそ700億円。日本でも屈指の大学発スタートアップです。彼らの特徴は、“最初に核融合発電所を作る競争”には参加せず、“すべての融合炉に必要な部品”を供給することに特化している点にあります。これは精密製造に強い日本らしい戦略で、すでに成果も出ています。
代表例がジャイロトロンです。プラズマを加熱するための大出力マイクロ波源で、1台数億円という巨大な機器。英国、米国、韓国の研究機関が同社製のジャイロトロンを導入しています。また、液体金属を使って融合炉内部の熱流動を再現する試験ループも構築しており、東京本社では燃料サイクル研究、京都ではUNITY-1と呼ばれる“融合条件下で発電模擬を行う装置”が建設中です。さらに、AT-1(熱取り出し)とMT-2(燃料供給)という2つのプログラムが進行しており、これらをすべて統合したFASTという研究施設が2035年ごろに完成予定。段階を踏んで技術を積み上げ、2040年頃の実用発電を目指すという、極めて現実的なロードマップが示されました。
特に印象に残ったのは、「大発明は突然のドラマチックな瞬間ではなく、小さな実証が世界の認識をひっくり返す」と語った場面です。学生たちがその言葉を静かに受け止める様子から、融合が“遠い夢”ではなく“到達しうる技術”として捉えられた瞬間が伝わってきました。
次の講演は、溶融塩炉(MSR)という別の方向からの“核の未来”でした。もし融合が長期的なゴールだとしたら、溶融塩炉はより短いタイムスケールで現実になる可能性があります。驚く人も多いのですが、MSRでは燃料が「液体」です。この一点が炉の性質を大きく変えます。固体燃料と違い、溶融燃料は約1000℃で運転可能で、高効率発電や産業用熱供給が可能になります。また高圧水を使わないため、現在の軽水炉とは安全設計が根本から異なります。
1960年代、米オークリッジ国立研究所で行われた実験では、炉に異常が起きると燃料が重力で排出タンクへ流れ込み、自然に反応が止まりました。これはキャッチコピーではなく、物理法則に基づく安全性です。現代のMSRはもちろん高度な耐熱材料や排出弁を必要としますが、この話を聞いた学生たちは“安全性とは何か”を改めて考えていました。
講演者は廃棄物にも触れました。すべての問題を解決するわけではないものの、MSRの設計によっては、現行炉では扱いにくい超ウラン元素を燃やすことができる可能性があります。「廃棄物は固定された問題ではなく、工学で扱う問題になり得る」という感覚を、多くの学生が初めて持ったように感じました。
世界ではMSRへの動きが加速しています。中国は甘粛省武威の砂漠地帯にMSR実験炉を建設し、情報公開は厳しくなっているものの開発は進展中です。北米では陸上型海上型のMSR研究が進み、テキサスでは商用化を狙うプロジェクトも動いています。一方日本は慎重で、現代の基準で段階的な実証が必要だと考えられています。講演者はこれを悲観的ではなく、「日本が再び参入できる道がある」と前向きに語りました。
続くセッションでは、核の話がさらに深まりました。1980年代にドイツで開発されたペブルベッド炉、そこで使われたTRISO燃料球(トリウムやウランを内包する極めて強靭な小球)、そして中国が近年これを復活させた話。科学が止まるのではなく、政治や社会の変化で止まるのだということがよく分かる歴史でした。
そして再び融合の世界へ。講演者は、多くの人が意識しない「中性子」の問題を解説しました。融合反応が起きると高速中性子があらゆる方向へ飛び出します。一部はリチウムに当たってトリチウム生成など役割を果たしますが、多くの中性子は炉壁にダメージを与えます。ITER(フランス)では、いかに中性子の流れを制御し、材料を劣化させず、幾何学的な設計で有利に働かせるかが重要な工学課題となっています。
その後、この日もっとも観客を驚かせた技術が登場しました。40フィートのコンテナに収まる加速器駆動炉(ADS)です。これは粒子加速器で“亜臨界”の炉心を外部から動かす仕組みで、加速器を止めれば反応も止まります。地下7mに炉心部を置き、地上に加速器を設置し、液体ナトリウムや溶融塩で熱を取り出します。900℃近い温度に耐えうるポンプや熱交換器も開発中だといいます。
コンパクトでありながら、約25MWの熱出力を持ち、溶融塩の蓄熱槽が電力変動を吸収します。離島や産業用熱、地域暖房、そして水素製造など、用途は幅広いものです。技術的に最大の挑戦は加速器の小型化と高出力化で、ウェイクフィールド加速と呼ばれる新概念の研究も進んでいるとのことでした。
研究は2023年末に本格化したばかりですが、すでに50名規模の中核チームとパートナーを含め120名ほどの体制。2029年に「Q>1」(投入エネルギーを上回る核出力)を達成するプロトタイプを目指しています。医療用中性子源や太陽光向け溶融塩蓄熱などの派生技術も開発中ですが、最大のハードルは規制です。どれだけ小型でも、原子力である以上、安全審査は不可避です。そのため日本やマレーシア、シドニー、アブダビ、米国など複数地域と協議しながら進んでいます。
最後のセッションでは、国際協力の現在地が語られました。MSRは軽水炉の“いとこ”のような存在であり、炉が小さくなるほど中性子の効率が悪化するため、設計によっては20%近い濃縮度が必要になること、そしてロシアの濃縮ウラン供給が減ったことで燃料調達が現実的な課題になっていることが説明されました。
融合の世界では、かつてITERが象徴していたように「国境を越えた科学協力」が当然でしたが、ここ5年で状況は激変しました。米国は融合を国家戦略として捉え、中国は非公開の巨大施設を複数建設中で、数年以内にDT燃焼(重水素・三重水素燃焼)に到達すると言われています。サイバーセキュリティも重要な懸念となっています。
それでも講演者は、協力の必要性を否定しませんでした。むしろ「友好国同士での分業と共有」という“フレンドショアリング”が重要だと言います。また、中国の主要な融合研究者の多くが日本で学んだ事実にも触れ、政治が変わっても人間同士のつながりは技術発展に影響を与え続けると強調しました。
イベントが終わる頃、すべての話が1つのテーマにつながっていることが見えてきました。融合、溶融塩炉、トリウムシステム、ADS、国際協力、これらの未来は、キャッチコピーではなく、積み重ねられた工学と信頼関係、そして「知ろう」とする若い世代の姿勢によって形作られるということです。
あの日、学生たちが真剣に議論していた光景を思い出すと、日本の原子力の未来は単なる技術課題ではなく、文化的な転換点でもあると感じます。福島の事故を経てエネルギーミックスを再考する日本にとって、次の世代の声はこれからますます重要になるでしょう。
彼らこそが、この物語を前に進めていく存在なのです。