日本が忘れた原子炉

日本が再びクリーンエネルギーの分野で世界をリードすることがあるとすれば、それは太陽光や風力だけでは難しいかもしれない。先週、衆議院第一議員会館の一室で、そんなことを考えながら座っていた。エンジニア、研究者、元官僚たちと肩を並べて聞いていたのは、多くの日本人がここ数十年ほとんど耳にしていないような話題、熔融塩炉(ようゆうえんろ)についてだった。

より正確に言えば、トリウム熔融塩炉。液体燃料で動く、コンパクトで安全性が高く、しかも低コストの次世代型原子炉。世界の多くの国がまだ本格的に取り組んでいないこの技術を、実は日本は数十年前にひそかに設計していたという。

この「原子力イノベーションセミナー」に参加する前は、もっと専門的な話をただ静かに聞くことになるだろうと思っていた。確かに、スライドには化学式やコスト比較表、政策年表などが並んでいた。でも、本当に印象に残ったのは、内容よりも部屋の空気感だった。そこには確かに危機感があったけれど、それと同時に、まだ未来に希望があるという前向きなムードも感じられた。誰も過去の失敗を責めたり、制度の遅さを愚痴ったりするために来ていたのではない。そこに集まった人たちは、「まだ日本には出せるカードがある」と信じていた。そして、そのカードを「今こそ切るべきだ」と思っていた。

冒頭のスライドには、こんな一文があった。
脱炭素できなければ人類は生き残れないよね」。
演出めいた強調はなかった。でも誰もが、ああ、それは事実だ、と静かに受け止めていた。あの一文が、あとの話すべてのトーンを決めていたと思う。売り込みでもなければ、楽観的なビジョンでもない。これは静かだけれど、本気の提案だった。「もし、かつて日本が設計したけれど世に出なかった熔融塩炉が、未来のエネルギーの答えの一部になるとしたら?」

現在主流の原子炉は、固体ウラン燃料を高圧水で冷却して動く。構造は複雑でコストも高く、ひとたびトラブルが起これば深刻なリスクを伴う。私たちは福島でそれを学んだ。熔融塩炉は、その構造そのものを根本から変える。燃料は液体。具体的にはフッ化トリウムやフッ化ウランを含んだ塩の溶液で、それ自体が冷却材でもある。しかも、大気圧で運転可能で、過熱したとしても燃料は自動的にドレインタンクに流れ込み、冷えて固まる。爆発も、水蒸気も、炉心溶融も起きない。

驚くべきことに、これは新しいアイデアではない。1960年代にアメリカのオークリッジ国立研究所でアルビン・ワインバーグが実証炉(MSRE)を4年間無事故で運転していたし、日本でも1980年代に「FUJI炉」という独自の熔融塩炉が設計されていた。だが、いつの間にかその存在は忘れられていった。他の原子力政策にリソースが割かれ、福島以降、日本のエネルギー政策は慎重一辺倒になっていった。

その間に、世界は前に進んだ。中国はすでに建設に入っており、アメリカでは複数のスタートアップが政府支援を受けて実証に取り組んでいる。インドやトルコでも、トリウムを長期的資源として評価する声がある。その部屋で話を聞きながら、私はふとある矛盾に気づいた。日本は先にスタートしていたのに、今では後れを取っている。設計に貢献した国が、最終的には他国からその技術を“輸入”する可能性すらある。

けれども、その矛盾が場を暗くすることはなかった。むしろ、「だからこそ今すぐ動くべきだ」という強い説得力を生んでいた。日本には化石燃料がほとんどない。再生可能エネルギーも地理的制約が大きく、インフラ整備には時間がかかる。一方で、データセンターやAIの普及によって電力需要は確実に増えていく。ある登壇者は、電力コストの比較スライドを示していた。既存の原子力や火力は1キロワット時あたり10〜30円。再エネは不安定で、蓄電コストも高い。その中で熔融塩炉は、2〜5円で、しかも24時間安定供給が可能だという。

もちろん、課題も多い。現在の法制度は熔融塩炉のような新技術を前提に作られていない。認可、燃料の分類、廃棄物管理など、どれも現行枠組みにすっきり当てはまらない。そして何より、「原子力」への国民感情だ。日本では、原子力=恐怖というイメージが根強く残る。それは理解できる。登壇者たちもその点を隠さなかった。トラウマや不信に真正面から向き合い、そのうえで「過去を忘れるのではなく、そこから新しい、安全で小さく、かしこい原子力を創るべきだ」と訴えていたのが印象的だった。

具体的な提案もあった。日米で共同開発会社を設立し、まずはアメリカで実証炉を建設する。日本の強みである精密工学や安全設計の技術を活かして改良を重ね、商用化権を確保したうえで日本に逆輸入する。その後は、新興国などに向けて、単なるプロダクトではなく「安全性を第一に考える原子力イノベーションのモデル」として提供する道もある。

私は今、Anthropocene Instituteの学生研究員として、世界中のエネルギー転換技術について学んでいる。でも、こうして日本の未来に直結する技術のリアルな議論を、その場で目撃するのは初めてだった。会場の雰囲気は派手ではなかったけれど、静かに熱かった。そこにいた人たちが持っていたのは、声高な野心ではなく、地に足のついた技術への信頼だった。

隣の席の50代くらいの男性は、ほぼすべてのスライドをスマホで撮影していた。休憩中には若い研究者たちが集まって、ノートにライセンス関連のスキームを書き出していた。終了後も何人かが残って、登壇者と直接話をしていた。それは終わりではなく、始まりのように感じられた

会場を出る頃には、私の中にひとつの静かな確信が芽生えていた。熔融塩炉は、魔法のような万能エネルギーではない。すべての問題を解決してくれるわけでもない。でも、確実にこの会話のテーブルには乗せるべき技術だと思う。特にここ日本では、「リスクへの自覚」「技術への誠実さ」「少しでも良くしたいという静かな情熱」が、今も確かに息づいている。

あのセミナーは、単に原子炉について学ぶ場ではなかった。“イノベーション”とは、必ずしも何か新しいことを壊して始めることではない。時には、時代を先取りしすぎてしまった過去のアイデアに、今こそ光を当て直すことなのかもしれない、そう思わされた一日だった。

Taiga Cogger

Got Nuclear
A Project of the Anthropocene Institute