原子の心臓

「ぼくのこと、覚えてる?」
大きな目、ロケットの足、とがった髪。そう、ぼくはアトムだ。日本では「鉄腕アトム」と呼ばれている。1952年、手塚治虫先生のペンから生まれた。戦後の復興の時代、家庭にテレビが広まり、人々がロボットや未来の科学を夢見ていた頃だ。

手塚先生が描いたのは、人間でもなく、ただの機械でもない子ども。足にはロケット、遠くを見渡す目、そして胸の奥には小さな原子炉、原子の心臓を持つロボットだった。ぼくは世界で最初に「原子の力で動くヒーロー」になったんだ。

1960年代、日本の子どもたちは学校が終わると家に駆け戻り、テレビの前でぼくの冒険を応援した。その後、アメリカでも「Astro Boy」として知られるようになり、世界中で愛された。今でもポスターや本、ゲームの中でぼくを見かけることがあるだろう。でも大切なのは、武器や戦いではない。科学が人を幸せにするためにあるという信念をぼくが体現していたことだ。だからこそ、今あらためて「原子力エネルギー」について話したい。

地球を見渡すと、街は夜通し輝き、新幹線は日本を駆け抜け、家族は映画を楽しみ、子どもたちはゲームを充電し、病院では外科医が明るい照明の下で手術を続けている。すべてが電気に頼っている。しかし、その多くはいまも石炭や石油、天然ガスを燃やして得られている。20世紀を支えた燃料だけれど、空に煙を広げ、大気を熱で包み、海を押し上げる。暑すぎる夏、激しい嵐、上がり続ける光熱費。誰もが実感しているはずだ。国によっては需要に供給が追いつかず、停電も起きている。電気はもはや「便利さ」の問題ではなく「生きる」ための問題だ。

「アトム、お前自身が原子の力で動いているじゃないか?危なくないのか?」そう思う人もいるだろう。そう、ぼくは原子力で動いている。そして日本は、広島や長崎、そして福島の事故を経験し、その重さを知っている。忘れてはならない記憶だ。けれど、発電のための原子力は兵器とはまったく違う。そして福島の教訓は、世界中の技術者をより安全な仕組みづくりへと駆り立てた。ぼくが人々に受け入れられるために成長してきたように、原子力発電も進化している。

それは机上の理論ではなく、現実に進んでいる。フランスでは白い高速列車が原子力の電気で大地を駆け抜け、空気を汚さない。中国では、巨大都市を支えるために新しい原子炉が次々と建てられている。日本でも、夏の電力不足や高い燃料輸入への依存を減らすために、一部の原子炉が再稼働を始めた。北米では、小型原子炉の開発が進められている。安全性を重視した新しい設計で、遠隔地や工場にも安定した電力を届けられる可能性がある。国は違っても、問いは同じだ。「どうすれば地球を壊さずに、明かりを灯し続けられるのか」。

原子力の意味をもっと身近に想像してみよう。東京の病院では夜中でもMRIが動き、医師に命を救う画像を届ける。カナダのオンタリオでは、吹雪の夜でも家族が暖かい台所に集まり、停電を心配せずに夕食を囲む。パリの夜、カフェが光に包まれ、音楽が流れる。その電気もまた原子力が支えている。見えないけれど確かにそこにある、安定した力。それが原子力だ。

もちろん、ぼくだって一人で戦うわけじゃない。ロケットが役に立つときもあれば、センサーや人間の心が力になるときもある。エネルギーも同じだ。太陽光、風力、水力、地熱。どれもすばらしい仲間だ。でも太陽は沈み、風は止まり、川も干上がることがある。そんなときに必ずそばにいて支えてくれる静かな友、それが原子力だ。

「原子力」と聞くだけで不安になる人もいるだろう。ぼくも物語の中で、人々に恐れられたことがあった。でも、人を守るために生まれた存在だと知ってもらえれば、やがて受け入れられた。原子力も同じだ。完璧ではないが、以前より安全で、清潔で、賢くなっている。そして地球を守るために必要な力のひとつだ。

ぼくが描く未来は、暗闇や不足に覆われた世界じゃない。豊かさにあふれた世界だ。家も、学校も、電車も、病院も、すべての場所に十分なエネルギーが届く。国と国が資源を奪い合う必要のない未来だ。原子は小さいけれど、その中に秘められた可能性は果てしない。ぼくの名前「アトム」も、その希望を示している。手塚先生がぼくを生み出した時代も、人々は恐れと同時に希望を抱いていた。その希望はいまも生き続けている。

原子力を知恵と勇気をもって使うなら、それはもっと清らかで、安全で、明るい世界の鼓動になる。ぼくは原子から生まれ、宇宙を飛び、その力で人を守ってきた。これからは地球を照らす力として、その可能性を信じている。

それは夢物語じゃない。みんなでつくれる未来なんだ。

アトム

Taiga Cogger

Got Nuclear
A Project of the Anthropocene Institute